木曜日, 7月 21, 2011

時の流れは待ってくれない。
これは、誰が何と言っても待ってくれない。
自分も今年で34歳。
34年間経てばスギの木だって、出荷出来るくらいの太さになってきている。
時間の経過というのは、選択をしてきた結果。
さまざまな選択。
学校をどこに行くか。
または、学校に行かない。
好きな人に告白する。
プロポーズをする。
子供が出来たら産むかどうか。
仕事をなににするか。
まぁ、書いていったらキリがない。
けど、選択していった結果自分がある。

堆積されていったものは覆せない。
それを熟成と呼ぶのか、腐敗とよぶのか。
澱と呼ぶのか、エキスと呼ぶのか。
人は自分の置かれている状況によってさまざまに呼称を変える。

ある友人の現状が自分にとっては非常に悲しい。
人がなんと言おうと悲しいのである。

相手が相手であれば人は何ともコミュニケーションがとれる気がする。
外国人であれ、犬であれ、そのあたりにいる虫けらでさえも。
ただ、時に同じ国籍で同じような環境下で育った相手ですら一向に会話が成立しないこともある。

これはいったいなんなのか?

相手との関係性に絶望に近いものを感じた時に人はどう対応すればよいのか。
誰かわかるのであれば教えてほしい。

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